★令和4年丹那神社例祭 付帯行事等自粛のお知らせ
丹那神社奉賛会では、現在発生している新型コロナウイルス感染の情勢を鑑み、来賓及び来場者、関係者の健康や安全面等を第一に考慮しました結果、4月3日(日)の丹那神社例祭の付帯行事の自粛を決定いたしました。毎年ご協力いただいた町内会・子供会・会員・関係団体の皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、皆様のご理解をいただけますよう何卒よろしくお願い申し上げます。なお、神事は役員のみで午前10時より斎行いたします。
★三室哲也氏からの奉納品 詳しくはこちら
丹那神社の由来 |
1921(大正10)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生、多数の犠牲を伴う大惨事となりました。
坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなりました。関係者を先頭に必死の救援活動もむなしく、8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われ、尊い人柱になってしまったのです。
同年6月26日、鉄道大臣をはじめ、関係者400余名により慰霊祭が挙行されました。
丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られましたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っています。
なおその後、1924(大正13)年の西口の湧水事故や1930(昭和5)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故による犠牲者も合わせ合計67柱の英霊を祭神として祀っています。
その他の祭神は、大地主命(おおとこぬしのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)、手力男命(たぢからおのみこと)、豊岩門戸命 (とよいわまどのみこと)、櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)です。
毎年4月第一日曜日に、奉賛会の手により、例祭が挙行されています。 |
境内ご案内 |
山神社 |
トンネル工事を担った坑夫は、金、銀、銅などの鉱山で活躍した坑夫の系譜に連なる人たちです。
固有の歴史と伝統、規律を持つこの人たちには、様々な習俗・習慣がありましたが、その一つに工事を起こす際に、山を鎮め、工事の安全を祈って坑口に山の神様(山神宮)を祀るというものがあります。
丹那トンネルの工事に際しても、着工前に山の神が祭られました。丹那神社の右斜め上にある小さな祠がそれで、石を刻んだだけの素朴な社です。祭神は大山祗命(おおやまずみのみこと)が祀られ、坑夫たちは坑内への出入りの際には参拝したと言われています。 |
殉職者慰霊碑 |
丹那トンネル東口の真上に、殉職者の慰霊碑があります。
16年におよぶ大工事であり、難工事であったため、事故の発生は6件、重傷者610名、死者67名もの犠牲者を生みました。
この殉職碑は、1934(昭和9)年の開通にあたって当時の鉄道省の手によって建てられたものです。

|
殉職者供養碑 |
殉職碑の右隣に木の葉型の供養碑があります。
この石碑は、1921(大正10)年東口の大崩壊事故の犠牲者16名の3回忌法要が行われた1923(大正12)年3月、市内野中の大乗寺別院七面大明神境内に建立されたものですが、暴風雨等の災害で倒れたままになっていました。
これを、当時生き埋めから奇跡の生還をした一人、飯田清太氏や犠牲者の大半が所属していた工事下請の川瀬組後裔等が呼びかけ、1969(昭和44)年6月、50年忌法要に合わせて現在地に移転建立したものです。 |
救命石 |
丹那神社右横に「救命石」と呼ばれる石が安置されています。何の変哲もない石ですが、次のようなエピソードに彩られています。
大正10年4月1日、東口大崩壊の数分前、トロッコを使用してズリ(掘削した残土)を運び出す作業中、工事頂設盤のズリを漏斗(じょうご)でトロッコに受けていたところ、大石が漏斗に引っ掛かり、これは大変だと運搬に向かうはずの人も含め総掛かりで石の取り除き作業を行いました。
その直後、大崩壊が発生したのです。この作業にあたっていた人たち17名は、崩壊現場の奥に取り残され、結局8日間頑張った末に奇跡的に救助されました。もし、大石が漏斗に引っ掛からず作業が順調に進んでいたら、坑外に向かっていた人は大崩壊の直撃を受け、埋没していたはずです。この石のお陰で尊い命が救われたということから、「救命石」と名付けられ、大切に保存されています。また、あれだけの事故から人命を救ったのだから、石に触っただけでもの御利益があると、話す人もいるようです。 |
その他 |
熱海水力発電所跡 |
日本で初めて作られた水力発電所は100年以上の昔、京都の蹴上発電所で、1892(明治25)年に作られました。
この熱海水力発電所は、1892(明治28)、日本で8番目に作られた水力発電所です。
1890(明治23)年に日本で初めて、東京-熱海間で公衆用市外通話電話が設置され、日本の要人が多く訪れるようになり、全国に先駆けて熱海に電力需要があった証とも言え、また自然環境に優しい発電方法を熱海にふさわしく選択し、取り入れたとも言えます。
実際、熱海の旅館や民家に利用され、当時300もの数に電気の火を灯したと言われています。 |
梅園の湯 |
境内には、伊豆でも珍しい「梅園の湯」という飲泉(いんせん)があります。
どうして珍しいかといいますと、飲泉は直接体内に入れるため、衛生上の管理が非常に難しく、梅園の湯は熱海でも少ないアルカリ性の温泉で、カルシウムを非常に豊富に含むカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉です。ミネラルを豊富に含むお湯ですが、1日にコップ1杯程度を目安に、記載されている注意事項をよく読んでお飲みください。また、お風呂ですと、水でうめないと到底入ることはできない泉温66.8℃ですので、気をつけてお飲みください。 |
|
|
ページのトップへ戻る